お堀と川を区切る細い土の道に柵は無く、整備も進んでいなかったその昔、
幼いワタクシは毎日のようにソコを歩き、駆け抜け、自転車で行きます。
石垣を曲がれば戦後を色濃く残すバラック住宅が建ち並び、雨が上がっても
水たまりが残る道と石垣の間に商店や友だちの家。その先には安定所もあり
いつも大勢の大人がいました。
そして県職員住宅と県住、その先にワタクシが出た幼稚園、小学校、中学校
が同じ敷地の中にあり、広い運動場の南の端には、大きなジャングルジムの
ような総合体育器。門を南に出れば石垣の内側に駄菓子屋さん。
石垣の南側と国道に挟まれたここにも商店や友だちの家が並びます。
地下道で国道を渡れば同級生の文具屋さん、自転車屋さん、夜の繁華街では
仕込みが始まっていて、カウンター式のスナックの奥の部屋で遊ぶ同級生と
ワタクシに、彼のおかあさんがオデンをおやつにくれて、生まれて初めての
もちきんちゃくの美味しかったこと!
西行きの国道を渡って卸売市場街。ここにもいっぱいの同級生がいましたし
高校生になったワタクシにはアルバイトを提供してくれました。
開かずの国鉄の幅広い踏切を渡ってもまだ校区内で、その校区の北端あたり
現在の好古園の中に住んでいたワタクシからすれば遠いところでした。
一緒に遊んだ同級生のみんなは元気に暮らしているでしょうか。
そんな幼い頃のワタクシも見てくれていた、思い出の中のサクラとともに。
Copyright (C) 2000~ 平瀬謹也 All Rights Reserved.
コメントする