なぜ、ワタクシが姫路に、それも好古園に( 笑 )住めるようになったのか?
現在となればすべては想像ですが、岡山県で夫を亡くし生まれたてのワタクシを
抱えた母に、父が所属していた会社の方々の尽力で姫路に職を見つけてもらった
のでしょう。( 知らずに育ったので " 父 " と書くのもヘンな感じがするけれど )
若かりし母は( 15歳? )集団就職で、島根県から現在の花北になる前の広大な
敷地にあった " 東洋紡績 " にやって来ていたので " 姫路 " という土地に親しみが
あったかも知れません。( その後、大阪府住吉区?住之江区?でワタクシ誕生 )
そして、岡山県から姫路にやってきて " 寮母 " という初めての仕事を始めるには
不安も多かったでしょう。ある期間( 数か月だったのか1年程だったのか不明 )
ワタクシを加古川だったか高砂だったかの知り合いに預けて、迎え入れるための
実績を築くために仕事に精を出したと思われます。
ココにこうして記しておくことで「 そのこと知ってるわ 」という、ワタクシが
好古園に( 笑 )住んでいたことを証明してくれる方が現れるかも知れません。
幼いワタクシの記憶は、その寮の四畳半の部屋から始まるのですが、中学校へと
上がる頃に、これもきっと会社の方々の尽力でしょう。たぶん、寮の物置として
許可を取りつけて、ちゃんと窓がある3畳ほどの倉庫を建てていただき、そこを
ワタクシの部屋としてもらい、押入れの上の段に敷いた布団の中で深夜ラジオに
明け暮れる中学生となるのです。
買ってもらったラジカセから、ユーミンの「 あの日にかえりたい 」、オリビア
・ニュートン=ジョンの「 カントリー・ロード 」が流れてきます。
アレレ? 国立国会図書館にたどり着けぬままに、続きはまた次回!
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