記憶と言うのは、その一部分は鮮明なのですが、そう、前後関係とか、時間軸が
曖昧なことが多く、確かにソレはあったけれども、ソノ時ではない、みたいな。
「 以前にもここに来たよねぇ~ 」
「 ・・・わたしは初めてだわ 」
とか。( 笑 )
ちなみにワタクシが考えるところ、記憶と言うのは脳内にハードディスクの如く
一単位ごと各セクタに収められていて、ソレを探ろうとするピックアップを人が
コントロールして、論理立てて並び替え、引っ張り出しているのではないかと。
なので、一単位ずつは鮮明でも、前後関係や時間軸が曖昧になることがある。
" 夢 " というのは、そのセクタをピックアップが勝手に走ることで、一つ一つは
確かにあったことだけれど、並び順がめちゃくちゃで、もうストーリーとしては
それは、それは奇想天外なものに。( 笑 )
さて、先日の " エヴァ運休 " で、古い朝日橋周辺の記憶を書いたのですが、少々
自信がなく、別用で市役所に出向いた際 " 情報政策室 " に立ち寄り、その時代の
航空写真を閲覧させていただいて( 無料 )位置関係を確認します。
たまに空をウロつくセスナを見かけますが、こうしてほぼ毎年、キッチリ資料を
残されているんですね。 現在となれば信じがたい、ワタクシが「 好古園の中に
住んでいた 」という証拠写真も、時代が時代ですから解像度は高くありませんが
確かにありました。
お堀にはボート乗り場があり、NHKに米穀会社、ガソリンスタンド等ひとからげ
一緒に、現在の " 好古園 " の中です。( 笑 )
という訳で確認すると、先日書いた蒸気機関車やディーゼル機関車が格納された
扇形庫や転車台は、朝日橋周辺ではなくもう少し先の播但線分岐の東側でした。
約2か月間の公演が終了した " ポップサーカス " のテントが畳まれ、数年後には
総合医療センターが完成しているかも知れない、現在はまさに " 祭りのあと " の
空き地で当時、蒸気機関車がその動輪を休めていました。
Copyright (C) 2000~ 平瀬謹也 All Rights Reserved.
コメントする