幼いワタクシは城内( しろうち )、現在の好古園の中で育ったのですが・・・
と書けば「 またまたぁ~ 」と、いまの市街地しか知らない方々に言われますが
当時、お堀にはボート乗り場があり、そこから西へ国鉄官舎、営林署官舎があり
NHKやガソリンスタンドなどもソコ、本町68番地にありました。
幼稚園、小学校、中学校とは目と鼻の先の恵まれた環境で、遊びのエリアはお堀
から男山、船場川、姫山公園といった、まさに城内( しろうち )でした。
同級生には街中の商店や会社の息子さん娘さんが多く、当時「 ドーナツ化現象 」
で郊外の閑静な住宅地は増えて、中心地の人口は減る一方でした。
その当時から半世紀ほど、古い家屋エリアの代替わり等でマンションが林立する
街中心地回帰の志向が高まり、子供人口もどんどんと増えているそう。
それは嬉しく、ワタクシ母校の城南小学校、同級生たちの城巽小学校の2校から
白鷺中学校へと進んでいたものが1校に統合され、市内初の9年制小中一貫教育
" 白鷺小中学校 " となっていた、そこの生徒数も増加傾向にあるらしいです。
クルマでの移動中にたまたまスイッチを入れたラジオ " FM-GENKI " から、その
校区の紹介内容が放送されて、締めには校歌が流れます♪
おぉ、ワタクシの母校、白鷺中学校の校歌がそのまま白鷺小中学校の校歌として
採用されているのですね。 たぶん中学校卒業以来ぶりに聴きました。
開きもせず、積み上げたままの母の遺品のアルバムの中に、もしかすると当時の
古い古いモノクロームの写真が残っているかも知れませんし、城南小学校の校歌
を記した何かが見つかるかも知れません。
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