よき日の旅立ち

 

 

この世代の女性の多くがそうであるように、母もまた、自身のことは置き去りに

つめに火をともすような生活をしていながら、ひとのことばかり心配するような

そんな女性でした。

 

記憶では、いつも和装に割烹着で、朝から晩まで、一日中忙しく働いていた姿が

思い浮かびます。

 

母ひとり、子ひとりの環境で育てていただきましたから、世間に恥ずかしくない

ように育って欲しい思いは、人一倍だったようで、いつも叱られていたと覚えて

いますが、それは私が出来の悪い親不孝息子だったからかもしれません。

 

年中休み無く働いている日々のその中で、それでも息子をどこかに連れて行って

やろうと、車社会の現代ならすぐの距離ですが、当時、バスに乗り時間をかけて

五百体あまりの石仏が並ぶ寺まで出かけた帰り、まず無かった外食、バス停近く

の食堂で、アルマイトのそれで出てきた鍋焼きうどんの姿が、いまも脳裏に鮮明

に焼き付いているのはなぜでしょう。

 

そんな母が、高校生になって好き勝手に遊んでいる私に、再婚の話を切り出した

のは意外でしたが、きっと可愛げなく「あなたの人生だから好きにすれば」的な

受け答えをして話が進んでいったように思います。

 

この頃の記憶が私の中で、すっぽりと抜け落ちています。

 

時が経ち、またパートナーに先立たれた母ですが、親不孝息子一人だった彼女に

親孝行な娘が加わり、そして孫まで誕生した人生後半は幸せの絶頂期だったかも

しれません。

 

そして現在、綺麗な装束に身を包んでもらった母の前には私だけでなく、本当に

世話になりっぱなしの姉夫婦、そして英語が得意で、DIY好きの、かわいい姪が

「おばあちゃん若返ったみたい」と手を合わせてくれているのは母の大手柄です。

 

以前から症状はありましたが、行方不明になり出身地の島根県までの切符を手に

京都府で保護されたのをきっかけに、長らく施設で暮らすことになったのですが

その際、手に持っていたバッグの中から出てきた、電車に乗る前の駅前で買った

だろう、押しつぶされた「ひめたまサンド」を、食べられないままだったことを

思い出し、今日の日付のそれを、そっと納棺時に忍ばせました。

 

今朝、私を大切に育ててくれた母が亡くなりました。

 

 

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