はるか昔々に大変お世話になった小学校時代の担任の先生に、事務所に寄っていただき
「ありがとうございます!」
残念なことにワタクシは留守をしていて、かつ彼女も (社長) バタバタしていたようで
失礼いたしました。
はるか昔々・・・ 5年生になった春のクラス替えで恩師、谷村先生の4組に当たったのは
"超コワイ先生" と聞いていたので、本当に残念で泣きたい気持ちでした。 (笑)
さっそく始まった毎日提出の "生活ノート" も 「大変だなぁ」 と感じたと思うのですが、
クラス全員分を丁寧にチェックしていただく先生も大変だったでしょう。
それは単にプライベートな日記と言う意味合いよりは "人に読んでいただく文章を書く"
という、トレーニングも含んだ添削をしていただいていたように理解しています。
そしてクラスを6等分して担当の曜日を決めて発刊した、日刊の学級新聞 「三ノ丸」 は
6年生も谷村先生に担任いただき、コンクールで2年連続、県、全国で "1位" に輝かせて
もらい、クラスみんなの素敵な思い出になっています。
2年間で700号は超えていましたし、その他に "個人新聞" とか "文集" なども定期的に
発刊していましたから、この当時に書かせていただいた文章量は、同世代の方々と比べ
少し多かったのかも知れません。
泣くほどコワイ先生に、現在につながる素敵な教育をしていただきました。
立ち上げてから日まだ浅いですが、株式会社設立準備中にちょうど6年4組の同窓会が
あったおかげで、その話もさせてもらったので、DIYで施工した当事務所が完成して、
事業のスタート時には谷村先生に頂いた大きなダルマに (この思い出話はまた次回)
目を入れさせていただきました。 (ちょっと選挙な気分? ・ 笑)
80歳を越えられてもバリバリ、iPhoneなど最新機器を操られ、常に新しい情報を入手
しておられる姿には "ぜひ自分自身、その歳でそうありたい!" と見習うばかり。
恥ずかしながら日々、こうして書き続けられていられるのも、まさに "師" と呼ばせて
いただく教育をして、いや、し続けていただいているからこそです。
相変わらず "句読点" の打ち方など (日本語も ・ 笑)、未熟で悩むことだらけですが
先生にこの駄文を 「読んでいるよ」 と言っていただけることが、プレッシャーですし
いまなお続く "学び" ですから、まだまだいつまでもよろしくご指導お願いいたします。
昭和50年・姫路市立城南小学校6年4組卒 平瀬謹也
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