「コワイ先生」 のイメージがあったので、小学5年のクラス替えで4組に
なったことは、ボクの人生終わったな (笑) と言うほどのショック。
さっそくクラスの全員が 「生活ノート」 と称する帳面に、毎日欠かさず
進んでかイヤイヤかはともかく日々の出来事を綴り、毎朝提出することに
なるのですが、その約40名分を下校までに丁寧に添削してくださっていた
のですから 「コワイ」 じゃなくて 「ヤサシイ先生」 です。
その恩師、谷村登志男先生をお迎えしての同窓会に出席させていただいた
のですが、今も私たち生徒のことはもちろん、みんなの母や父兄のことを
しっかりと覚えておられるのには驚きました。
5、6年生と担任していただいている間、クラス全員を曜日別に班分けして
2年間、日刊で発行した学級新聞 「三ノ丸」 が連続で兵庫県、全国一位を
受賞したりと、思い出深い経験に導いていただいたので、クラスみんなの
繋がりも強いようで、発起人方々の労力もあり、遠いところからの参加者
もあって、嬉し楽し 「久しぶり!」 の同窓会です。
私たちが書いた 「三ノ丸」 を毎日印刷していただきながら、個人新聞や
文集作り、日々の生活ノートを指導してもらっていたのですから、メチャ
クチャにお忙しかったでしょうが、その時期にいっぱいの 「文章を書く」
という経験を積ませてもらったことは、とても貴重な勉強と財産になって
現在に繋がっています。
当時私はお城の近くに住み、女手ひとつの母に育ててもらいながら、なに
不自由なく学校に通わせてもらっていたのですが、とっくにその頃の母の
年齢を過ぎて、担任いただいていた当時の先生の歳もはるかに越えてさえ、
現在、施設で暮らす母に、先生が 「会いに行ってもいいかな?」 と尋ねて
くださったのは本当にありがたく、生涯の恩師であるとともに、私たちが
幾つになっても、先生が幾つになっても、私たちの 「先生」 です。
Copyright (C) 2000~ 平瀬謹也 All Rights Reserved.
だよね〜
同感。
楽しい時間でした!